じゃーな!

「別な人」が作る社会に引導を渡す

これからも低品質コンテンツをよろしくね!

売れていない、底辺ユーチューバーがやりがちな、商品紹介動画。

改めて、文字に起こしてみると、残念極まりない。まさにネットのゴミであり、Googleにはインデックス料を、全国民には迷惑料を支払うべきレベル。親に見せられるのだろうか。

しかし、である。カメラを回して、インスタント食品を何も考えずに食べて、うまいだとか、こりゃ最高っすねだとか、説明になっていない貧弱な語彙(ごい)を並べる動画も、それなりに需要はあるのだ。思考停止状態で動画を回し、「あーん、おいしそー」「あーん、これいいかも」とか言ってる視聴者層。言葉を知らない層に、難しい言葉を使ったら、むしろ迷惑。こういった視聴者は質なんて、求めていない。

そう、質なんて求められていないのだ。このことが書かれたはてなブログが記憶にあり、マイブックマークをたどってみると、あった。

曰く(いわく)、日本人の作るセイコー、シチズンの時計は、飽くなき職人気質の追求により小型化に成功し、驚くほど時間が正確だが、値段は驚くほど安い。一方、ロレックスは、ゴツいし狂いやすいし、すこぶる高い。

でも、ビジネスの成果である、総売り上げを比べると……という話。

はてなブログでも、これはという慧眼(けいがん)が含まれる記事は、見ていると案外ブックマークが伸びない(伸びることもあるが)。深すぎてユーザーを選んでしまうのだ。もちろん低品質すぎても伸びないが、よく伸びるのは中程度の質を持っている気がする。

 ネイバーが落ちた  しかし後発のゴミまとめが上位表示されてしまう

低品質のパクリ記事しかない、質を求めるユーザーが嫌う、ネイバーまとめの検索結果上の順位が、下降しているように感じる。以前はどのワードでもしつこく上位表示されており、検索エンジンを取り巻く大人の事情ではないかという説もあったが、少し落ち着いてきた。

しかしそれでも、質の低いネイバーまとめは、それなりの需要があり、それなりの順位には表示される。

以前、電車内で聞いた、旅行中の大学生の会話に驚きを禁じえなかったことがある。

「ねえ、次どこ行こうか」

「ネットで、調べてみて。のってるかなあ」

「あった!ネバーまとめ、何でもまとめちゃうな」

「さすがネバーまとめ。あ、ここいいって書いてあるよ」

「よさそーだねー」

この会話を聞いて、サイトの名前すら勘違いしている、「いい」と書いてあれば、「いい」とそのまま受け止める、質を見ないユーザーに、ネイバーまとめは支えられているのだと、よくわかった。現在、ネイバーは、必ずしも上位表示されなくなったが、旅行や飲食関係では後発のまとめがひどい。

よくあるパターン

引用写真①(人様の写真を勝手にドロボー)

モチモチの麺!ホントにおいしいですよ。← 行ってないよね。写真とり忘れたの?

引用写真② 

こちらの店は、ちょっと硬めの麺が最高!← え?食べてないよね。嘘はやめようよ。

引用写真③

このお店スープは何度食べても、感動もので、いつも飲み干しちゃう!← 何度も行って、毎回写真忘れるの?バカなの?

こんな、犯罪的に低品質なレポートが許され、しかも、ユーザーはそれに気づくこともなく、「よさそーだね」と受け止めてしまう。

 

そう、質なんて求められていないのだ。確かに、はてなブログで書いている人は、質が高い人が多いし、Googleもはてぶを優遇することで、かなりハイレベルな援護射撃をくれるので、不満があるわけではないが……。

サイゼリヤくらいがちょうどよい

マックのような質だとさすがに厳しいが、サイゼリヤくらいがちょうど良い。

もしあなたが調理師で、料理一筋で生きてきて、サイゼリヤの品質でピタッと止めることができるだろうか?なかなか難しい。

文章もちょっと低めの質でピタッと止めるのが、大切なのかもしれない。イケハヤ氏について言えば、ぶれないし深さを感じることもあるが、質より量が優先されているように感じる。いくらでも掘り下げられるし、何万字でも書けるが、書かない。

質を追求したいなら

何でも専門的にやっていると、深くなり過ぎてしまい、ユーザーには、過多な内容になりがちだと思う。

先日、伊豆の伊東園ホテルに宿泊した。7800円で1泊2日、2食つきで、夜は食べ飲み放題。少ない予算のなか、あえて技術を封印して、きちっと予算内の品質のものを作る職人というのは、逆に尊敬すべきなのではないかと思った。できるのに、求められる質でピタッと止める。また別の意味でプロフェッショナルである。

質を追求して生きていくには、国の税金垂れ流しプロジェクトを受注するか、大金持ちの相手をするしかないだろう。普通にブログを書いたり、ビジネスをやっていくなら、ユーザーがイメージできない領域での質の追求は、いらない。

しかしそれでも、私たちは(人によっては)、たとえ理解されない部分があっても、マネタイズが遠回りになっても、やはり質を追求してしまう。

日本人だから?

もしかしたら、日本人は、資本主義を受け入れていないのではないだろうか?一定の時間と工数で、もっとも大きな金を生み出すことに、専心しきれない。

踏み込むとキリがないので避けるが、資本主義の完全な成立は、心とモノを明確に分けることができることが前提条件なのではないだろうか。ブログのデザインや、自分がデザインしたモノや、作った料理、書いたコード。これらを愛おしむ心象が消えない限り、私たちは、質を追求してやまない。 

www.jarna.jp

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