じゃーな!

「別な人」が作る社会に引導を渡す

広告の終わり 専門家の終わり 

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電通の中の人はちょっと勘違いをしているのではないか?例えば、大学生向けのインターンシップ選考の敗者復活戦に「終わケド選考」と名づけ選考の動画をアップしている。しかしこれは応募者かつ再応募した人間しか見ないもの。わざわざ気を利かせたネーミングをする必要はないのではないか。恐らく仲間内のちょっとした司会やトークでも、気の利いたコピーを自然体で連発できることがデフォとなっており、それが広告マンの矜持(きょうじ)なのだろうが、世間のセンスからはずれている。そもそも電通の尖ったコピーが受けたのは、テレビや新聞中心のメディア寡占時代の話。10局しか選択肢がないなか日本人は強制的にテレビを見せられ、何度も何度も同じCMを見せられ、ちょっと気が利いたものがヒットしていただけ。もう寡占メディアを持っていないのだから「気の利いたこと」を言ってもどうせ広がらないのに、行動習慣は過去の良い時代のまま。電通に限らず大掛かりなCMをちょくちょく作っているが、テレビの前には家族全員でなく1人しかいないし、その1人もCM中はスマホを見ていたりする。auのCMは面白いですかと聞かれれば、面白いと答えるでしょうけれど、メディア寡占時代の20分の1くらいの温度しかその答えにないことをわかっとるのでしょうか?

 

まだ汐留で消耗してるの?電通のオウンドメディア「電通報」のクオリティが低い件。

とはいえ、イケハヤ氏がもはやお家芸のように批判するほど電通は腐っとらんとも思うわけ。確かに大学生の応募者を小馬鹿にした「終わケド選考」や、その1次選考の「SNSで1万いいね!される投稿内容を考えてください。※オリジナルのみ。パクリ厳禁です」のような軽薄な課題を見る限り、大丈夫かしらんと思う。しかし、日経ビジネスで電通の岸勇希氏、古川裕也氏らのインタビューを見ると電通の奥深さを感じる。

岸:何を仕掛けたって、「話題になる」ための過程に、ネット・メディアはいまや不可欠です。

インタビュアー:テレビでもネットでも、アクアソーシャルフェスでも、手紙でも、すべてをメディア化して、それぞれに最適なソリューションを提供し、複合的に効果を求めていく。もはや「どのメディアを選べばいいか」ではなく、「どう複合させるか」なんですね。

岸:いや、そうじゃないんです。

日経ビジネスオンライン(会員登録が必要な記事です)

このあと岸氏は、僕の仕事はクライアントの課題を解決することであって、メディアの種類や、それ以前に手段が広告であるか否かを問わないと発言している。これは優れたものの見方だと思う。結局電通のような大型の組織にはデキる人から普通の人までいるわけで、様々な位相(局面)を見せており、一概にオワコンとは言えないのではないか。それでもメディア寡占時代のビジネスモデルや思考の癖から簡単に抜け出せるはずもなく、イケハヤ氏が指摘するようにネットメディアではなかなか前面に出てこないのも事実。泥船とは言わないまでも、大きく舵を切っている途中の古い巨船であり、就活ランキング21位はやや過大評価ではないかと思う。

 

そう思うのは、もはや「広告」という業態自体が縮小していくと思うから。例えば、若い人ほど何か物を買うときに、ツイッターや知恵袋を見る傾向がある。人によっては検索エンジンすら使わない可能性がある。「Googleは使わない、SEO対策しているから」という名言がある(評価が微妙なGENKING氏の発言なので世間では名言とは見なされないが、中身だけ見れば名言)。検索しても広告料の多寡で商品を選び、都合の良い口コミを引用したアフィリエーターが上位に出てくるからだ。googleやはてなは、そういったサイトを下位に落とすよう努力しているのでネットはまだ将来性があるが、テレビや新聞の広告はまごうことなきオワコンである。先日テレビ局が末期症状 プライドはもう「捨てま」したか?~セブンの小籠包はCMでないという論法~ で触れたように、テレビは広告が番組を飲み込むという末期症状を示している。7月19日に放映されたマツコの知らない世界『ブーム再来!3大CMホテル!三日月ハトヤ塩原を徹底比較』 では、各ホテルのロゴが画面にずっと出続け、CMソングが再三流れるという驚くほど「広告のような番組」であった(マツコの知らない世界が毎回そうだというわけではないし三日月は先日実際に行ったが良かったので一概に否定はしないが……)。マツコの知らない世界のこの回は、ホテル評論家の瀧澤信秋氏がナビゲートしたが、視聴者の中には「専門家だから逆に信用出来ないよね~」と事の核心を射抜いてしまった人もいたのではないか。そう、専門家だから信用出来ないのである。専門家はその業界に生計を頼っているわけだから、人間関係やしがらみに絡み取られ自由な発言はできない。この回はマツコもそうだったようで、全ての料理を否定しないマツコを見てあるファンは「でもおいしいとは言ってないよね」と不思議な意思疎通をしていた。マツコがテレビや業界に向けて発信しているコードと別のコードをファンは読み取っているのだ(こんなめんどくせーメディアってどう?)。専門家の失墜。料理について言えば、厨房に取材に入った時点でシェフや従業員と人間関係ができ、正当な評価はできなくなる。しかし専門家は取材が仕事。それ専門で食っていくということは、自由な発言権を失うということだ。このとき、ほかの何かで生計を立てており遊びでホテルを訪ねたユーザーの「なんだ、おいしくないじゃん」「なんだ、おいしいじゃん」の一言は、GENKINGでないが非常に信頼度が高い。メディア寡占時代は、ユーザーは発信するチャンネルを持たなかったし、メディアにより専門家は優れているのだと洗脳を大衆は受けていた。その構造が全て崩れたとき、広告と専門家の時代は終わる。

※補足   広告と専門家は実は寡占メディアに依拠した存在だったということ。テレビが終われば広告は終わり、書籍が終われば評論家は終わるという簡単な話。