(^^)/「好きというその不思議で奥深い心の温度……」の記事に触発されて、「好き」という感情について少し時間をかけて考えてみたい。
好きという感情の意味が分からない宇宙人へ
好きという感情の意味(結論)
人は強固な生存本能を根源的に持ち、ほとんど全ての感情がそこに原点を持ちます。好きという感情は、1秒でも長くこの世に存在し続けることへの強い希求の念(本能)を言葉に変えたものに過ぎないのです。
生きることは歓びなのだと思う。生きていることの中に歓びや苦しみがあるということではなくて、まずは生きていることそれ自体が歓びなのだ。人間はまず肉体のレベルで存在していて、そこに言語が上書きされることで「人間」となる。
保坂和志『世界の始まりの存在論』
ピーマンが好きではない
子どもがピーマンを嫌うのは、ピーマンが苦いからです。苦いものは原則、生存に寄与しません。現にピーマンには「アルカロイド」という毒素が微量含まれています。能天気な大人は苦手を克服したのだと考えていますが、老化で味覚が劣化しただけです。味蕾(みらい)細胞の数が徐々に減ることは医師が認めています。
春が好きである
私は季節のなかでは「冬」が一番好きですが、かなりの少数派。春が好きな人が一番目立ちます(春42%、秋32%、夏13%、冬4%)。春は肉体の生存にもっとも適した時期。意識からは薄れていますが、様々な動植物が活動を再開させることで食べ物が豊富になる古い記憶も関係しています。
好きな人がいる
人間は本能に充実である反面、ほかの動物に比べれば本能が壊れた存在だと言う人もいます。結婚しない人も増えていますが、依然として私の生存を支え、私の遺伝子を伝える家族を持ちたいという感情を持つ人も多いです。「好き」という感情は文化に脚色されその本質を覆い隠されています。しかし福山雅治氏でさえ、最終的には「家族になろうよ」とか言ってファンの悲鳴をよそに結婚してしまったように、「好き」は家族を持つことが前提にある感情です。
人間の好きという感情は「個としての生存本能」「種としての生存本能」の2つに分けられます。わが子をかわいいと思うのは、遺伝子を残すことを含めた個としての生存本能です。一方、近所の子どもをかわいいと思うのは、種としての生存本能です。近所の公園において、空よりも鳥よりも土よりも遊具よりも、子どもをかわいいと思うのは、同じ種の子どもを守ろうとする広い意味での生存本能です。もし滑り台に感情があれば、あのブランコ超かわいいと思っているかもしれません。
なお、人が子犬や猫などを可愛いと思うのは、人間の子どもに似た性質を持つからです。子はいないけれどペットを飼っているという人も多いですよね。
汚い場所が好きではない
汚い場所が好きではないという人が大半です。病原菌に対する警戒心です。しかし、ゴミ屋敷を好む人がいるように、人間は本能が壊れた存在で個人差もあります。ここが人間のおもしろいところです。
集団安全保障法案が好きではない
昨年の集団安全保障法案の国会審議の際には、何十年かぶりに学生のデモが行われたほど反対議論が熱を帯びました。多民族国家であり歴史を持たないアメリカ合衆国は、戦争によって国の団結を維持している面があります。そのためどちらかというと(イスラエルと並び)戦争には積極的な方です。アメリカの戦争にも参加することは、どうしても自分または日本人の戦死への近道となります。
端的に言って平和主義者は個としての生存本能が強く、野球をライトスタンドで観戦する人はそれが弱い傾向があります。勇ましいのです。
ラーメンが好きである
人がもっとも好むフレイバーは、砂糖・塩・脂です。人類は約400万年前(アウストラロピテクス)に生まれ、約200年前産業革命の時期まで食糧に事欠いていました。人類が比較的十分な食糧に恵まれたのは、400万分の200年(0.00005%)に過ぎません。そのため遺伝子はまだ旧型です。砂糖、塩、脂を目の前にすると食べつくす生存本能を持っています。砂糖が普及していなかった時代、牛や羊の乳から作った「醍醐」という糖分は、殿様や貴族だけが口にできるものでした。
ラーメンは、麺の小麦粉に糖分を、スープに塩分や脂分を豊富に含む、人類史400万年の悲願ともいえる禁断の食べ物です。生存本能を極限まで満たすから人気があるのです。 糖分や小麦製品を口にしたとき、脳裏に快楽が走ることを感じませんか?それこそが「好き」の源泉となる電子信号です。
好きになれない上司
女性が好きになれない上司は、不潔であったり変な太り方をしていたり、それに無頓着であったりと、万が一にも私との遺伝子を残すことになったら困るという、潜在的な生存本能が決めるものです。
男女双方から好かれない上司は「力がないのに自分の考え方を押し付ける上司」です。力がある上司、自分や会社が業績を上げる道を示してくれる上司ならば、押しつけがましくてもついていきます。自分が生き残れるからです。面倒なのは、力がないのに持論を押し付ける上司です。みな自分の生存本能によって、自分なりに行動をチョイスしています。そのチョイスに対して、たいした力がないのに指図をする上司は生存の邪魔と感じるものです。
年齢分の月給を払える会社において、会社を出てもやっていけるような上司なら、誰も嫌いにはなりません。少なくとも片方が必要です。これまでは多くの「上司」が会社が年齢分の月給を払える(30歳に30万払える)こと、つまり人を生かす力が高い点を隠れ蓑(みの)にしていました。今の日本経済の状況のなか給与が減り、個の力が試されています。しかし多くの上司は古い上司像のままです。力をつけなければ好かれません。きみぃ、とか偉そうに言ってる上司は、あなたが「きみぃ、偉そうに」なんですよ。
好きなことをして生きていく
ストレスは寿命を縮める大きな要素です。だから多くの人はストレスのないことで命をつなぎたいと思います。通勤地獄、せわしない昼食、休憩できない、残業、押しつけられる。こういったイメージから会社勤めをしたくないという人も多いようです。
しかし人間とは不思議なもので、好きでないことから好きが生まれることがあります。安全地帯の外に好きなことが潜んでいることもあります。「好きというその不思議で奥深い心の温度……」 好きなことで自分を維持しながら、1日に1回は嫌いなことにタッチしてみるのも良いかもしれません。ジャーナ(^^)/