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じゃーな!

「別な人」が作る社会に引導を渡す

きみぃとか言ってるうざい上司はまだいるのかね?

増田風

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呼応表現というものがある。「全然~ない」の様に、ある言葉が呼べば別の言葉が応えるという双子の表現だ。ちょっと難しいのはこれ。ただ~〇〇。歌詞で検索してみるとgoogle先生は、中島みゆきの「ただ・愛のためにだけ」と松田聖子の「涙がただこぼれるだけ」を返してくる。任意の呼応表現でただ切り取っただけなのに、中島みゆき流の自己完結し勝ちな深い情念と、松田聖子の相手を立てる一歩引くぶりっ子スタンス(私なら平気だから夢を追いかけてね、と歌詞にある)を垣間見ることができるのが興味深いところ。一方で呼応表現は、古くからの慣習であり若い世代のレジスタンスの対象となることがある。「全然ある」と言うと古い世代は強い抵抗を示すように。

「きみぃ、まだGW気分が抜けきっとらんのかね?」「きみぃ、今そんな数字で上半期は大丈夫かね?」などと威張り散らす上司はさすがに減っていると思うが、「きみぃ~かね?」もひとつの呼応表現かもしれない。だが、この表現を使う上司は2つの大きな事実誤認を抱えている。1つ目は、上司「きみぃ~かね?」部下「はい!!」のような関係はあくまで上司氏の権限(それもズバリ人事権)を背景にした実質のない不健康な人間関係であって、上司が会社を去れば0.1秒で潰えることを知るべきである。ネットを検索していると、定年退社後にふと会社を訪ねもとの部署を訪れるが、手塩にかけた(つもり)の元部下から冷たくあしらわれたというエピソードが拾える。部下の評価や給与の決定に絡む権限である人事権は、ほぼすべての部下を(表面的に)従える威力を持つのであり、それは上司の人間性や権威への評価とは全く異なるのだ。2つ目の誤りは、そもそも人事権を背景にした「きみぃ~かね?」が通用する時代ではないということだ。むかしむかしなら、定年まで雇用、年齢分の給与(30歳に月給30万払える)、会社の安定を背景とした人事権はかなり意味があった。しかし現在、その意味は非常に空しくなっていることは誰でも知っている。

きみぃとか言ってる化石上司は、自身の人間性や権威を認められている訳ではないことと、自身が拠り所とするカイシャはかつての会社ではないと知るべきである。これには実際にきみぃを使っていなくとも、きみぃ性の強い人を含む(でも本人は絶対に気づいておらず、今どき「きみぃ」なんて使うかよと、他人事の様に思っている。きみぃ、いつになったら気づくのかね?と観音様が仰っている。気づけ!)。

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(^^)/じゃーな