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じゃーな!

「別な人」が作る社会に引導を渡す

ボランティアは自己満足、寄付すべし~僕が海外ボランティアと風俗を同列に見る理由~

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都市伝説? プレミアムフライデー導入企業って本当にあるの?

キングコング西野くんの絵本炎上商法も一段落したわけですが、今度はやまもとりゅうけん氏が「僕が海外ボランティアと風俗を同列に見る理由」という記事をアップしました。ボランティアは、単なる自己満足なのでしょうか?

僕が海外ボランティアと風俗を同列に見る理由~ボランティアは自己満足?~

西野くんの炎上もようやく一段落でしょうか? 煙突の町、何でしたっけ?

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私:西野って、長谷川豊、イケハヤとアンタッチャブル三人衆だな。

友人:シェアしちゃいけないってやつね。四天王だとあと誰?(笑)

私:誰だろ?

西野くん、長谷川豊、イケハヤの3人は、炎上芸人ですから、ジャンルとしては、お笑いですよね← でも「お笑い」って、トリオでもいいけど、四天王でも座りが良さそう。あなたなら、誰を4人目に置きますか?

四天王候補にやまもとりゅうけん氏はいかが?

四天王候補にやまもとりゅうけん氏はどうでしょうか?

じゃーん!

www.ryukke.com

わお! 「海外ボランティア=風俗通い」という、すごいのがぶっこまれてました。

『僕が海外ボランティアと風俗を同列に見る理由』論旨

ボランティアなんてやるくらいなら、自分がとっとと実業で成功してお金持ちになって寄付しまくった方が喜ぶ人は多いはずなんですよね。合理的に考えると。

だから、わざわざNPOを立ち上げて海外まで飛んで行って、現地の恵まれない子供達のために2年も3年も汗を流し続ける人がいるというのが全く理解できなかったんです。何故わざわざそんな遠回りをするのかと。

海外の現状をその目で見たなら即帰国して、このめちゃくちゃ稼ぎやすい日本で成功してからお金ばら撒いた方がコスパいいですからね。

ところが、最近わかったんですよ。彼らのボランティアは、弱者を救済するためではなく、自身が得られる体験(快楽)のために行われているということに。そして、それは本質的には風俗で20K支払うのと変わらないのではないかと。

ボランティアは、単なる自己満足という主張。明らかに炎上狙いですよね?

やまもとりゅうけん氏は、海外ボランティアに行く人は、相手のためでなく、自分のためだけにそれを行っている自己満足ではないかと言います。

  1. ボランティア活動で得られる価値は「安心という快楽」。自分より「持たない者」と生身で触れ合い、彼らに尽くすことで「豊かな自分」を強く認識できる。
  2. 弱者を救済することは美徳とされ、社会的な承認欲求も満たすことができる。これも快楽の一種。
  3. 彼らは、寄付のような間接的な手法で支援するのでは、充分に快楽が得られない。実際に自分が会いに行って体を動かさないと満足できない。わかりやすく言えば、自宅でxvideos観ながら右手動かしてるより、実際にお店に行ってヤりたいというのと一緒。

突っ込みどころが満載すぎて、グウの音も出ません(笑)

1 「豊かな自分」、「自分より持たない者」というのは、いつの時代の話なのでしょうか? 確かに昭和時代なら、30歳過ぎたら小型車(ミニ)には恥ずかしくて乗れない、みたいな雰囲気もありましたが、そんな物欲の時代は、とっくに終わっています。自身の満足の基準を、経済的な豊かさに求める人は、かなり減っています。やまもとりゅうけん氏が、物欲の世界で生きるのは自由ですが、それは個人の主観であり、海外ボランティアに行く人全体に当てはめるのは無理筋。

「豊かな自分」、「自分より持たない者」なんてワードは、いまの若い人からしたら、古文の世界ですよ。古文。時代錯誤も甚だしいです。

2 2番目は、冷静に読むと、ある程度筋が通るのでスルー。ボランティアには、自己満足的な要素も多少はあるでしょう。

3 自分が物質的に恵まれていることを確認するためには、寄付では満足できず、海外に赴くことになるのだと。

そんな阿呆、おらんやろ(笑) 例えば、ちょっとお金がたまったら、西成(=ドヤ街)に行って人を見下しつつお助けマンし、それをフェイスブックにアップして、「気持ちいい。ちょー気持ちいい!」となると。なりません。理屈として成り立っていないです。

 全体として、やまもとりゅうけん氏自身が、物欲と承認欲求の固まりということは分かりましたが、それを海外ボランティアに行く人、全体に敷衍(ふえん)するのは、無理です。やり直し。

人は自己満足のためにボランティアに行くのか?

Volunteering

人はなぜボランティアに行くのか?

承認欲求のために行く人は、いると思いますが、社会的承認を気にするというのは、自分のなかの欲求や価値観と、社会的な価値観の整合性を気にする心理であり悪いことではありません。出発点は、自己満足や承認欲求でも構わないのです。人間は、社会的に生きるしかないからです。

やまもとりゅうけん氏に理解してほしいことは、快楽のパターンは、人によって異なるということです。やまもとりゅうけん氏が物質的豊かさの実現や、社会的承認を得ることで、「気持ちいい。ちょー気持ちいい!」となるならそれはそれで結構。別にそれが間違っているとも、少数派であるとも思いません。個々人の快楽(満足)の仕組みは、潜在意識に存在し、本人も気づいていない場合があり、それに気づいて顕在化したとしても、外部からは測定できないため、何が多数で、何が少数かは言えないのです。

私は震災のボランティアに行ったことがありますが、その理由は、「正義をなすこと」が気持ちいいからです。正義をなすのが好きな人は、一定数いると思いますが、当人は「考えて」正義をなしていると思っているかもしれません(理性の問題)。しかし、長く考えてきた結果、私自身は、正義をなすのは単に気持ちいいから、とある年齢で理解できました(感性の問題)。

やまもとりゅうけん氏が、行動原理として「快楽」に目をつけたのは、フロイトばりでもあり、別に良いと思います。しかし、快楽を覚えるポイントは必ずしも、全人類共通ではないことを理解してください。

ボランティアより寄付が良いのか

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ボランティアより寄付の方がコスパが良いと、やまもとりゅうけん氏は主張します。しかし、コスパでは行動しない人もいるんですよね。いま、困っている人がいる。感性の声によって、すぐに駆けつけたくなる。こういう人もいます。コスパを主軸に置く人が、経済的に成功しやすいことは知っていますが、そういう行動原理の人ばかりではありません。

また、例えば東日本大震災の際に、ボランティアに行かずに寄付するためにビジネスに励み、5年後に成功したとしても、もう仮設住宅は減ってきていますし、ガレキも片付いています。寄付では、いまそこで苦しんでいる人を視界の外に追いやり、放置することになります。これに耐えられないという感性を持つ人もいることを、理解してください。

ボランティアより寄付が良いは正論

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しかし、一方で多額のお金を寄付することは、人力に頼るボランティアに比べて、場合によっては何百倍もの威力があることも事実です。もしいま私が震災にあったとして、避難所に駆けつけて、身の回りの手助けをしてくれるボランティアもありがたいが、100万円ポンと投げてくれたら、それは大変助かります。

私自身、2014年に会社勤めを辞めたのは、生涯の収入の天井が見えてしまったからです。自分が暮らしてゆくことはでき、切り詰めれば、老後も何とか暮らせそうだとは思いましたが、誰かを助けることはできません。私は塾に勤めていましたが、塾の費用は高額であり、十分に学ぶ機会を得られない生徒の存在も見てきました。そのため、多少リスクがあっても収入が伸びるチャンスがあるフリーランスを選びました。お金を貯めて、地域に開放された無料の自習室を作ることが目標です。その場所は、ビジネスマンやフリーランス、学生にもワーキングスペースとして開放し、利用料として、仕事の合間に勉強を教えてもらう形を考えています。

パワフルな正義を実現するためには、お金が必要です。例えば、現在初詣客で上位になるような神社やお寺は、お金儲けが上手いところばかりです。

  • 伊勢神宮は、式年遷宮で、定期的に参拝客や寄付を集めている。また日本最古の地域通貨を発行し、経済活動に乗り出してきた歴史がある。
  • 出雲大社やこんぴらさんは、富くじ(宝くじ)の実施で、参詣者の滞在日数を伸ばし、お金を効率よく集めてきた。

財源が豊かな寺社ほど、社会貢献度は高くなります。規模が大きければ大きいほど、困窮した人の駆け込み寺としての機能は果たせるでしょうし、学校を作ることもできます。寄付がボランティア以上の破壊力を持つ事があるのは確かです。

しかし、該当記事をみる限り、やまもとりゅうけん氏は、イケハヤ・長谷川・西野モデルに過ぎず、不快指数が高いですし、個人的な主観の無理筋な敷衍も目につきます。ちょっと子ども過ぎやしないかと感じます。

最近わかったんですよ。彼らのボランティアは、弱者を救済するためではなく、自身が得られる体験(快楽)のために行われているということに。そして、それは本質的には風俗で20K支払うのと変わらないのではないかと。

こういう言説に感化され、ついて行く人が一定数いることは、西野騒動でよく理解できました。しかし、20年、30年読み継がれるような言説には、なりえないと思います。やまもとりゅうけん氏には、「よくできました」ではなく、「もっとがんばりましょう」のスタンプを進呈したいと思います。

松野屋 学校スタンプ(楽天)

www.jarna.jp