とらべるじゃーな!

#別な人が作る社会に引導を渡す

Twitterで議論する無意味さについて

最近Twitterで、悪絡みされることが続きまして、しばらく更新を停止することにしました。

細かいことは伏せますが、Twitterでフォロワーに議論を仕掛けるという行為そのものが、理解しがたいのです。もし相手を変えたいなら、下のような方法が必要でしょう。

人を変えるのは、そう簡単ではありません。もし変わったとしても、もともと相手にとってこだわりが薄いことだったり、変わった振りだったりするものです。 これは7つの習慣の第5の習慣(「理解してから理解される」)に書かれていることです。

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ご存知の方も多いと思いますが、筆者はイケハヤの書生だったキック氏と、作業合宿兼対談をしたことがあります。結果として彼の考え方は強固なところがあり、変えることできませんでしたが、そこらをプラプラしていた大学生が疑うことなく界隈に入ってしまう仕組みが分かるなど、一定の成果がありました。  

段取りなき議論は無駄といっても、例えば、付利意雷布亜 🔗1代目さんのように、いかがわしいビジネスをしている人間に対して、公の場で問題提起をすることには、メリットがあると思います。もちろん相手が変わることはありませんが、この場合の目的は多くの人に問題点を知らせることです。  

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最近よく言われることですが、Twitterで特定の個人に対して悪態をついている人は、道で会った人に悪態をつくのでしょうか? それは、暴力を含む大きなトラブルのもとです。Twitterやブログでも、返礼の方法はいくつかありますので同じことです。

もし、歩きたばこをやめない人間がいて、その人を変えたいとしたら、まず世間話でもして共通点を見つけて、できれば連絡先を交換して、その後何週間かやりとりして、そう言えばタバコは喫煙所で吸った方がいいかもねとでも言えば、何とかなるかもしません。

そういう段取りを省いて、Twitterで唐突に議論を仕掛けていくのは、ひとつとして生産的な行為だと思えないのです。

議論を仕掛けたり、過激にどこぞに批判を加えてゆくと、フォロワーは面白いように増えます。しかしそのフォロワーは、あなたのことに関心を持ってくれたのではなく、あなたが過激な言葉を発するのを待っているだけなのです。本当に発信したいことがあったり、助けを求めたりしたいときには、一人として手を挙げることはありません。

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草間彌生のように、良いコンテンツを真剣に生み出せば、ヘイトに乗せなくとも伝わります。それ以外はすべて無駄なことです。

相手に対する愛情が伝われば、自然に傾聴してもらえるようになります。それ以外はすべて無駄なことです。

 

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