じゃーな!

「別な人」が作る社会に引導を渡す

訃報に広告を貼るということ

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大きな訃報があった日は、世の関心はそこへ向かうので、ブログに記事は上げないほうが良いと習ったことがあります。歌舞伎は全く分かりませんし、奥さんのこともよく知りませんが、準備していた記事のアップを見送りました。

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そして安定のヤフコメ。18261件のブーイング。冥福を祈らないとはどういうことでしょうか? 匿名においてもなお、恥を知れ!

そしていつものように、ニュースサイトも、トレンドアフィリエイトサイトも、2ちゃんねるまとめサイトも、訃報関連のアクセス狙いの記事を連発しています。広告つきで。

広告外せよ!

なぜ広告を貼ったままにしようと思った? もし人の死で小銭を集めて良い考えているのなら、その理由を説明してみろ。お前は自分の棺桶に広告貼られたいのか? 24時間以上問い詰めたい。

トレンドアフィリエイト系の動画チャンネルも強烈。ワイドショーの映像を無許可でパクって、そこに広告が出る。いくつ罪を重ねた?

個人的には、人の魂が死ぬことはないと思っているので、彼女がどこかに消えたわけではないと思っていますが、ご冥福をお祈り致します。

 

追記:あるブログから(一部抜粋、中略あり)

会見では、いかに良い海老蔵さんの辛そうな顔を抜くか、各社が競っている。

だから、目頭に手を当てた瞬間にシャッター音とフラッシュが集中する。

その後は、いかに会見の文字起こしを早くして世の中に出すか。各社が競っている。

会見が終われば、

「今日はPV数伸びそうだね~」

終業の時間がくれば、「おつかれ~」と各自の生活に戻っていく。

私たちの仕事の意義ってなんだろう。といつも思う。

出典:

http://ethicalmasa.hatenablog.com/entry/for-mao-kobayashi

追記 次のようなコメントがありました。

メディアの業でもあるし、メディアを消費する者の業でもあるし、私生活も切り売りしてきた芸能人の業でもあると思います。

そうではないのです。なぜなら、生と死は(一応)地続きでなく、別の世界に旅立つことですから、現世がどうであろうと、何も持たせず、まっさらに送るべきなのです。例えば、凶悪犯にも葬儀を立てるように。言論の問題ではなく、文学の問題。

死は特別なもの。死人に口なしと言いますが、意外なことに、(日本人のコンセンサスとして)人権はあるのです。死にゆく者の背中に、広告は貼るべきでない。これは優れて文学の問題です。